片桐孝洋の座右の銘
>科学技術の進歩についても、常にこの精神を忘れてはならない。日本がこの精神を忘れた時、諸外国にさきがける新技術は決して創成できず、不沈艦と賞賛された大和と同じ運命を、再びたどることになる。
「新技術である<ソフトウエア自動チューニング>に関する科学技術を真摯に追求し、永続的に進歩し続けることで、諸外国にさきがける日本発の革新的技術の創成を狙う」
「もし論文を書かないで大きな顔をしているのならば、どうして書けないのか、どういうところで引っかかっているのか、明確にいえるようにしておく必要があります。絵を描けない画家はいません。歌を歌えない声楽家もいません。「研究者です」という以上は、やはり論文を書かないとだめです。あるいは特許がとれていないとだめです。そのうえで数が多い、少ないとか、質がよい、悪いとかいう評価を受けるべきです。いちばん悪いのは、論文をまったく書かないで「研究者です」といばっている人。これはだめです。たまに書く人でも、つまらない論文を書いている場合が少なくないのです。これもだめです。何も書かないよりも、あるいはつまらない論文を五年に一回、一〇年に一回書くよりも、やさしい問題でいいですから一つひとつ取り組んでいるほうがいいのです。
ただし、論文を書かなくても評価される研究者がいます。こういう研究者は見ているとわかります。目利きであるというか、批評眼の鋭い人。そういう人は論文をほとんど書かなくても、一〇年に一本でも私は何にも文句はいわない。なぜかというと、熱心にいろいろ話をしていると鋭い批評をしてくれるからです。
その人々はものすごい知識の蓄積をしているからこそ、即座に批評できるわけです。だから私は論文を書かないからといって評価しないわけではありません。そうはいっても何も書かないで、批評もできないし、なぜ自分が論文を書かないかということも明確にいえない、コーヒーばかり飲んでいる、お酒ばかり飲んでいる、そういう研究者まがいを軽蔑します。じつをいうと、そういう人が少なくないのです。そんな人がよく発言することがある。大学批判とか、大学評価に対する批判とか。そういう人をよく見ると論文がほとんどなかったりする。社会に対して何か文句をいう以上、自分がきちっとした研究をしたうえでやるべきです。なぜ自分が論文を書いていないか、自己評価したうえで批判や発言をすべきです」 ----
研究者 / 有馬朗人監修、東京図書、2000年、19-21頁。
「諸事批判の前に、定期的に論文を書き、きちっとした研究を継続すべし」
<最終更新日> 2006年 9月
片桐孝洋のホームページへ戻る